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英国・エジプト
エジプトも重要です。
1882年以降、英国はエジプトを軍事的に占領し、オスマン帝国との形式的関係を残したまま実質的支配を確立しました。1914年には英国がエジプトを正式に保護国化します。

ここでも、
「軍事的占領」 → 「現地政府の外交・安全保障能力を制限」 → 「形式的な主権を残しつつ実質的支配」
という構造が見られます。
韓国の1905~1910年の経過と比較するうえで重要なのは、保護国化が必ずしも直ちに完全併合を意味しなかったことです。
つまり、当時の国際法秩序には、
独立国 ↓ 保護国 ↓ 軍事占領 ↓ 併合
という複数の中間形態が存在していました。

ロシア帝国の周辺諸国

ロシア帝国についても、中央アジアやコーカサス方面で、軍事征服後に現地の君主・ハーン等との条約を通じて保護・従属関係を形成し、最終的に併合するという過程が多数あります。
ここでは英国やフランス以上に、
「軍事的征服」 → 「現地君主との条約」 → 「保護」 → 「最終的併合」
というプロセスが観察できます。
このタイプを全部「条約があるから合法」と評価するなら、韓国についても条約の存在をかなり重視することになります。
逆に「軍事力を背景に締結された条約だから無効」とするなら、ロシア帝国の多数の領土取得についても同じ問題が発生します。