日蓮宗では苦の内容が問題になる。法に背く尺度として無我世界の相関性だけが残るからだ。

苦は依存的に顕現し、世界が再帰的に語られる。例えば、無我を知る無我は法に相関する。

苦が縁を結ぶ世界そのものを仏は救おうとした。法の苦を直視する現実がそこで問われる。

世界の『何処かに』救う他者的な存在を信じない。無我故に苦が生じる現実の輪廻を認める。

つまり仏教から気分的フィクションを消した。