探検


左翼の終焉を生暖かく見守るスレ33

254考える名無しさん
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2026/10/02(金) 16:37:17.310
>>251 〜
余り宗教には詳しくないけれど

ギリシャ時代的な神の名前は今も使われているように
キリスト教以前の紀元前は多神教の時代だったと聞くし
つまり一神教の弊害ってこと?
255スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 16:37:41.390
なぜユダヤ教は発明されて
キリスト教として世界に広まり
そして日本はその征服をまぬれて人類古来の信仰を残すことができたのか

これは長い人類の物語だ
256スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 16:39:00.820
>>254
そもそも多神教なんてものはない
一神教のキリスト教が世界征服し
その他を多神教と名づけたものだ
257スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 16:40:18.580
そもそも信仰に神はいらない
日本人が神社にお参りにいく
その時に誰に祈る
この神社は誰を祭るなんて考えない
258スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 16:42:32.080
信仰は人類の中で本能みたいなもので全員が持つものだが
神が生まれたのはずっとあとだ

信仰とはなにか?
そこから始めなければならない
259スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 16:44:08.970
ユダヤ教が生まれる何十万年も前から人類は祈った
そのとき動物から人間が生まれたと言える
260スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 16:52:47.950
一神教の起源はゾロアスター教とも言われるが
システムとして完成させたのはユダヤ人

この画期的な発明品が本領を発揮したのがキリスト教だが
それを発明したのはキリストではなくパブロだ

ユダヤ教のシステムを、ユダヤ人以外にも解放した
そのためにローマの国教として欧州に広まった

いまとなっては人類の何十万年の信仰の歴史で、
パブロ革命の二千年は短いようだが

日本人は無宗教だと言わせるほどに、人類のの信仰観を転倒させた
261スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 17:01:42.500
しかし日本人も古い信仰観をのほほんと持った土人ではない
いまの日本人はキリスト教徒を遥かにしのぐ高度な精神性で改造されている

人類最高峰の知である仏教だ
民族レベルで仏教の知を体得したのは日本人だけだろう
もし釈迦が生きて日本人を見たら理想郷に見えるだろう

残念ながら、もともとの神道は土人の信仰でしかない
神道は仏教から多くを学び発展した

日本人が無宗教である理由の一つは
キリスト教の奴隷にされずにキリスト教のような一神教を洗脳されなかったことだが

もう一つは、すでにキリスト教よりも遥かに高度の仏教的に境地に達していたからだ

仏教というと広くてわかりにくいが
禅だ

日本人はキリスト教の前に禅によって覚醒していた

ではいまの日本人に改造した禅とはなにか?
262スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 17:01:54.070
つづく
263考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:06:41.520
ユダヤ教の一神教は「民族」としての強烈な自覚からきた。
キリスト教の一神教は「民族」ではなく、「自我」の強烈な自覚からきた。
これがキリスト教をして普遍宗教とするに至った。

人類の文明化により個人の自我が強くなると、なべての宗教は一神教的になる。
浄土宗、浄土真宗、真言宗も一神教的だ。日蓮宗も「経典(法華経)」が一神教的位置づけだ。
264スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 17:12:16.060
日本人が身につけた禅的なもの
仏教では空観と言うが

簡単な言えば、物事を白黒つけず曖昧なままでいる能力だ

キリスト教徒はよく日本人をはっきりしない、裏表があると、イライラして下等だと言うが
彼らは白黒つけないと堪えられない
それは人類として当然の性向だ

しかし日本人は白と黒曖昧でも平気だ

これは量子コンピュータのようなものだ

キリスト教は01でしか処理できないが
日本人はどちらでもない状態を受け入れられる

量子コンピュータは計算能力を飛躍的に向上して
現代の難問をことごとく計算して、ノーベル賞級の発見発明を連発すると期待されている
265考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:14:43.920
日本仏教は、元々は護国を目的とする国家仏教だ。

鎌倉仏教で個人を対象とする仏教が起こったが、

江戸幕府が再び、仏教を国家体制に取り込んだ。戸籍管理と大衆教育を
担当するいち省庁となった。妻帯、女犯、蓄財、お構いなし。

明治政府が「神仏分離令」「寺社領上知令」で仏教を弱体化し、
さらには「肉食妻帯勝手令」で、僧侶をさらに腐敗させた。

こんな日本仏教が、世界一だとな?
266考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:18:29.690
キリスト教も奥が深い。エックハルトなどは、仏教的悟りに非常に近い。
一方、浄土系、真言系の仏教は、一神教的だ。
禅は、修行法にせよ、「無」にせよ、むしろテーラワーダ仏教に近い。
267考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:30:00.310
日本仏教は北伝であり、中国の影響、なかんずく道教の影響を大いに受けている。
「大般涅槃経」の「一切衆生悉有仏性」とか、臨済禅師の「無位の真人」とかはそれ。
つまり、「無我」ではなく「仏性」があると言っている。釈迦の本来ではない。
268考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:41:17.250
>>263 それが要らぬ対立をもたし紛争の元となってるのだし
日本に観光にくると、その文化の違いに驚くわけ。
特に、本性的にも母体を守る意味で危険に対して恐怖を感じる女性が。

>>264 その空観は「空」であり
戸塚校長曰く四苦八苦的に
「煩う必要のないことは煩うな」な基本を説いていると言い
それが無く空で晴れやかな心の状態を空と言うとか。

>>265 だからどうして
江戸幕府や明治政府がその決定をしたのかってこと。
それは君のすべての批判的な説に言える欠点。

その仏教とキリスト教について故田中英道東北大学名誉教授な
歴史家により聞くところでは
聖徳太子がどちらを入れるか検討して争いが有ったが
結局は具体的にも仏像が有ったことで仏教を広めたと聞いてる。
一方のキリスト教は参考にしたのが元がカルト的で十字架しか無かったとも。

そして仏教や儒教の本質は戸塚ヨットスクール校長が詳しくて
仏教で元々が戒律的な教義が無いのは後に改変されることを予想してのことだとか。
そのブッダが言うには「とにかく言うことを試してみれば分かるから」だと。
一方の儒教は論語にように事細かく記されていることで実用性が高いとか。

このようにとにかくこのように紀元前には世界で天才が生まれていたと感心する。
269考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:45:13.510
>>268
>江戸幕府や明治政府がその決定をしたのかってこと。

天皇の下、中央集権を図る明治政府にとっては、唯一神道を推すのは当然。
そんなことも解らないの?

>それは君のすべての批判的な説に言える欠点。

意味不明。
270考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:48:24.020
>>269 批判的な物言いに際して根拠や持論を記すのは当たり前なことだからだよ。
271考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:51:36.560
>>268
>仏教で元々が戒律的な教義が無い

原始仏教の基本経典である三蔵は「経蔵」「律蔵」「論蔵」であり、
「律蔵」は、まんま戒律を説いている。
ただし、キリスト教の十戒は神が与えたことになっているが、
仏教の戒律は人間釈迦が、時々の状況に応じて作ったもの。
272スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 17:56:36.330
この話すると人間革命より長いからな
人間革命読んだことはないが

目次は

信仰とはなにか
ユダヤ教と言う画期的な発明
なぜユダヤ教はキリスト教となり成功したのか

神道の起源
日本での仏教の始まり
鎌倉時代以降の仏教革命
空間とはなにか
勤勉として空観の覚醒
現代における空観の限界と癒し社会

なぜ日本人は無宗教なのか
273考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:57:02.670
>>271 そのような事が欠けていたわけ

これも多分、君のことだろう
250考える名無しさん2026/10/02(金) 16:22:18.320
↑ =247
274考える名無しさん
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2026/10/02(金) 17:58:05.410
>>270
肯定的な物言いにだって根拠は必要だよ。
それに、読めば根拠は理解できたはず。
275考える名無しさん
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2026/10/02(金) 18:02:15.640
>>274 俺は出来る限り記してるけど
276考える名無しさん
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2026/10/02(金) 18:02:20.620
>>273
>271 そのような事が欠けていたわけ

アンタの理解不足、知識不足だろ。

>これも多分、君のことだろう
>250考える名無しさん2026/10/02(金) 16:22:18.320
>↑ =247

意味不明。説明が稚拙。
277スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 18:04:23.910
日本人は鎌倉仏教以降、空観を身につけた
と言って、庶民がどこまで身につけたか怪しい

まずは武士など知的階級
侘び寂び、茶道、武士道など、そして勤勉
278スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 18:04:33.850
善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。

ところが世間の人は普通、「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない 」 といいます。これは一応もっともなようですが、本願他力の救いのおこころに反しています。なぜなら、自力で修めた善によって往生しようとする人は、ひとすじに本願のはたらきを信じる心が欠けているから、阿弥陀仏の本願にかなっていないのです。しかしそのような人でも、自力にとらわれた心をあらためて、本願のはたらきにおまかせするなら、真実の浄土に往生することができるのです。
「歎異抄」3章
279考える名無しさん
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2026/10/02(金) 18:05:44.250
ギャバンは幼稚で頭が悪い
悟りなんて無理だろ
280スコッパー・ギャバン
垢版 |
2026/10/02(金) 18:07:34.030
どの仕事もみな仏道修行である。人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである。仏道修行で無い仕事はあるはずがない。一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為となることをもって知るべきである。鍛冶・番匠を始めとして諸々の職人がいなくては世の中の大切な箇所が調わない。武士がなくては世が治まらない。農人がいなければ世の中の食物が無くなってしまう。商人がいなければ世の中の[物を]自から移動させる働きが成立しない。このほかあらゆる役分として為すべき仕事が出てきて世の為となっている。このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えている。本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。自身とはつまり仏であるから、仏の心を信じるべきである。

万民徳用 鈴木正三
281スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 18:08:54.930
理解できなくても心配はいらない
日本語ネイティブなら、自然とインストールされてる
282考える名無しさん
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2026/10/02(金) 18:11:10.790
左翼は左翼の敵ギャバンと戦おう🟥
283スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 18:14:26.030
須菩提よ、ここに、求道者の道に向かう者は、次のような心をおこさなければならない。すなわち、須菩提よ、およそ生きもののなかまに含まれているかぎりの生きとし生けるもの、卵から生まれたもの、母胎から生まれたもの、湿気から生まれたもの、他から生まれたもの、みずから生まれ出たもの、形のあるもの、表象作用のあるもの、表象作用のないもの、表象作用があるのでもなくないのでないもの、そのほかの生きものもののなかまとして考えられるかぎり考えられた生きとし生けるものども、それらのありとあらゆるものを、わたしは、<悩みのない永遠の平安>という境地に導き入れなければならない。しかし、このように、無数の生きとし生けるものを永遠の平安に導き入れても、実はだれひとりとして永遠の平安に導き入れられたものはないと。

それはなぜかというと、須菩提よ、もし求道者が、<生きているものという思い>をおこすとすれば、もはやかれは求道者とはいわれないからだ。それはなぜかというと、須菩提よ、だれでも<自我という思い>をおこしたり、<生きているものという思い>や、<個体という思い>や、<個人という思い>などをおこしたりするものは、もはや求道者とはいわれないからだ。

金剛般若経
284スコッパー・ギャバン
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2026/10/02(金) 18:16:20.430
本書の著者・鈴木大拙先生は、大乗仏教の根本原理を「即非の論理」と呼んでいる・・・例えば、「世界は即ち世界に非ず、是世界なり」、また「微塵は即ち微塵に非ず、是を微塵と名づく」等である。これを一般的な形式に引き直すと、「甲は甲であると言うのは、− 甲は甲でない、故に甲である」という方式になる。もっと簡単にすれば、「甲は甲であると言うのは、―――甲は甲でない、故に甲である」という方式になる。もっと簡単にすれば、「甲は甲でない、だから甲だ」という命題ができる。すると肯定が否定で、否定が肯定だということになり、普通の論理ではとうてい承認され得ない非合理であり、常識外れも甚だしいと言わなければならない。それにも拘わらずこの即非の論理が、仏教的思惟の根本なのである。
仏教では、物の本然、物の真実或いは物の「在りのまま」の存在を「如」或いは「如々」と呼んでいる。即非の論理は、定立(肯定)されている概念をいったん否定し、この否定を経てもう一般肯定に戻ったときに初めて、その概念に対応するところの物が真実にとらえられると言うのである。心が主観と客観に分かれて、そのあいだに成立する関係が、普通に言われる知識或いは認識であり、これはまた分別とも呼ばれる。ところが主観は人によってそれぞれ異なるから、こういう認識作用によって知られるところのものは「在りのままの在る」ではない、それには常に主観によるいわば変容が加わっている。そこでこのような分別を否定するのである。つまり主観と客観の対立をすべて掃いのけてしまう、或いは心が主客に分かれなかった前の状態に戻ると言ってもよい。心はもともと一心であり、絶対の一である。これを主観と客観とに分けたのは我々自身なのである。いずれにせよ初めの肯定がこうして否定されると、そこへ在りのままの物が現出する、それが即非の論理の意味である。(解説 篠田英雄)P257-258

日本的霊性 鈴木大拙 ISBN:4003332318
285考える名無しさん
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2026/10/02(金) 18:16:22.870
>>276 それこそ不毛と言える

>>277 そりゃ〜浸透には時間が必要だろうし
ましてそれが伝承的にも正確に伝わるとは限らないし。

>>279 持論的に悟りとは各種の東洋的な教義の元的にも
再度言うが、
生き物が「本」質的に生まれ持つ「能」力な本能を知ることだと思う。
何故なら、これを基本とするのが仏教であり儒教であるし、
生き物は絶滅を防いでいるので。
286スコッパー・ギャバン
垢版 |
2026/10/02(金) 18:19:02.920
有る故に無い
無い故にある

生きる故に死ぬ
死ぬ故に生きる

美しい故に醜い
醜い故に美しい

ドブネズミみたいに美しくなりたい
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