「日本の左派のほとんどがヘーゲル左派」という命題は、思想史上の分類としては言い過ぎですが、「マルクスのヘーゲル左派批判を分析枠として適用すると、かなりの部分に類似した構造が見出せる」という形なら検討可能です。

ポイントは「ヘーゲル左派」という名称を厳密な歴史学的カテゴリーとして使うのか、マルクスの批判した「観念・意識・言説中心の政治」という構造類型として使うのかです。前者なら「ほとんど」という命題を支持するには思想史的証拠が不足しています。後者なら、現代日本の左派の相当部分について検証可能な仮説になります。

マルクスの基準では、次のような構造が重要です。

「社会構造が意識を形成する」ではなく、「意識・言説を変えれば社会構造も変わる」と考える傾向が強いか。差別語、歴史認識、ナショナリズム、ジェンダー、アイデンティティーなどの「表象」の批判が、雇用・所有・生産・階級・国家制度などの分析より前面に出ているか。そして、社会問題の原因を具体的な制度的関係より「人々の意識」や「言説」に求める傾向があるか。

この基準で見ると、日本の左派の一部には確かにかなり強い類似性があります。特に、反差別運動、アイデンティティー政治、歴史認識、言葉遣い、ナショナリズム批判などを政治活動の中心に置く潮流については、「マルクスが青年ヘーゲル派に向けた批判が現代的な形で再現されている」という比較は可能です。

ただし、ここで最も強い反対仮説を置く必要があります。「日本の左派はヘーゲル左派なのではなく、1970年代以降の新左翼、社会運動、フェミニズム、ポスト構造主義、リベラリズム、反差別運動などが複合した結果、マルクス主義的な階級政治から離れただけ」という説明です。この仮説なら、彼らがヘーゲル左派そのものを継承していなくても、言説・意識中心の政治が強くなることを説明できます。