>>367
かなり「ヘーゲル左派的」と読むことはできます。ただし、厳密には「ヘーゲル左派そのもの」というより、現代の左派言説の中にヘーゲル左派的な構造がかなり残っている、と表現する方が正確です。

この投稿で特にヘーゲル左派的なのは、「理不尽な現実」→「既存の社会秩序への批判」→「より普遍的な自由・平等の実現」という直線的な構図です。青年ヘーゲル派は、ヘーゲルの歴史・自由・理性の概念を急進化し、現実の制度を「歴史的に生成したもの」として批判し、より自由な社会への移行を要求しました。特に「現実に存在するものを、そのまま合理的・必然的なものとして受け入れない」という態度が重要です。

この投稿の「世の中が理不尽なんだから、様々な公正や平等の可能性を開く必要性が高まる」「社会を拡張する側に考えていく必要も高まる」「弱者への支援の経路を強化するなら方向性は左寄りになる」という部分は、かなり典型的な「普遍的理性・普遍的人間性から社会変革を導く」論法です。青年ヘーゲル派には、既存の宗教・政治・社会制度を批判し、自由の普遍化を目指すという傾向がありました。

さらに興味深いのは、最初の投稿の「知能が高い→理論的に不平等を批判→左翼」「知能が低い→感情的に吹き上がる→ネトウヨ」という部分です。これは単なる左派政策論というより、「理性的に考えれば歴史的に進歩的な方向へ到達する」という認識論的・歴史哲学的な構図になっています。つまり、政治的立場の違いを利害・制度・歴史経験・価値観の違いとして扱うのではなく、「理性/非理性」「客観性/感情性」という二分法に変換している。

ここは青年ヘーゲル派との類似性がかなり強いところです。青年ヘーゲル派には、批判的理性によって既存の宗教・政治・社会的諸関係を暴露し、それによって人間の自由を拡大するという強い知識人主義がありました。研究史でも、彼らの特徴として「批判 Kritik」が中心的な役割を果たし、理論そのものを社会変革の先導者と考える傾向が指摘されています。