>>94
>主観の単位を粒子と考える
これは、主観はニューロンのようなネットワーク的な段階以前に
標準理論が想定しているような基本粒子の段階で既に生じているのではないか
という意味で理解してよろしいのでしょうか。
私としては、素粒子が相互作用することによって精神現象が生じる
という考え方に違和感があるため
(そのようなことが観測されたことも無いはずです)
もし意識が観測されることがあるとすればそれは観測上は粒子としてであろう
と考えるのですが、
しかしそれが標準理論的なものかどうかは保留だと思っています。
五感がえてして電磁気的相互作用とかかわっているようなので
あるいは意識の正体はまんま電子なのかなと思ったこともありましたけど、
しかしひょっとすると基本粒子は人間が創ったものの可能性も捨て切れない
という気もするのです。
それはたとえばまず分子が原子に分解され、それから重粒子、基本粒子ときたら
基本粒子もさらに分解されるかもしれません。
基本粒子は目下これ以上分解できないものとされてはいるようですが
そのあり様が不自然だからこそ超ひも理論があるのであって
今後科学技術が進歩すれば分解かどうかはともかく
どのような展開をするのかは未知と言って過言でないと思うのです。
つまり基本粒子は発見されたものなのか発明されたものなのか
あるいは基本粒子とされるものは本当にビッグバンで生じたと言い切れるものなのか、
学者の世界が中心にあるとすれば私などはほとんど辺境にいるわけですから
そこのところの見極めはたいへん困難なことのように思えるのですが、
ただいずれにしても、私は何らかの素粒子に意識が内在すると仮定するよりも
そもそも「存在するとはどのようなことなのか」
というところから考察を始めれば自ずと道が開けてくるのではないか
みたいな気がしています。
いかがでしょうか。