>>158
実在は扱わない/扱えない。(実在や本質を扱わないのが「科学」である)
存在は扱えるが、主観的存在のみを扱う。(主観からは逃れられないw)
そのようなわけで、「存在」は形式であって、何かが存在するとかいうのは扱わない。
「多主観世界主義」(適当)においては、
主観が、アイデンティティを与えたものが「(主観的客観)存在」である。
(どーでもいい議論を回避するために、あくまでも「人工世界」での話、としている)
主観が何ものであるのか、ということは扱わないw
主観は体系の外側、あるいは、境界にいる/ある。
第一不完全性定理あるいはタルスキの定義不能性定理によって、主観を体系内に持ってくることことは不可能である。