>>231
>林檎が見えるから(林檎は)有る
私としてはここまでは賛成です。
しかしたとえば超球面さんが車を運転しているとしましょう。
このとき超球面さんの脳神経とされるものをコントロールしているのは誰なのか、
私の考えでは時計さんだけでコントロールしているようには思えないのです。
かと言って超球面さんだけでコントロールしているようにも思えません。
これはじつはこの世界を共有している全ての主観(保留)によってコントロール
されているのではないか、というのが私の印象です。
その恒常性はみんなの同意によって保証されているという考え方です。
これは証明されなくても可能性は残されるはずです。
むしろ与えられ得る選択肢の中ではもっとも可能性が高い気さえするものです。
この段階では私の個人的な感覚に過ぎないものですが
みなさんがどのようにお考えになるのかには私事ながら興味があります。

>>232
私が個人的にエラソーながら相対性理論関連で最も問題を感じるのは
そこら辺に出回っている本ではえてして要領を得ないということです。
便宜的な表現ばかりで知りたいところをごまかされているかんじがあります。
たぶんわざとではないとは思うのですが
そうであればみんなが勘違いをしているということになります。
自我が発達しなかった日本では(これは日々本当に実感します)
起こり得ることのようにも思えます。
武漢肺炎しかり、長そうなものには巻かれっぱなしになるのです。