前スレ944、988への書き込みになります
脳と意識の物心二元論者が意識の難しい問題を提起すること自体間違いだとか
1÷0のような擬似問題ということになるでしょうか?
個人的には消去法で心理的にしっくりとする考え方のほうが納得しやすいか
物心二元論的に考えたほうが理解しやすいかくらいの違いじゃないと思っています

意識を獲得するというのはどういうことで、類人猿に意識はあるのか?
人間が用いるところの「意識はあるか」は、広義には睡眠、気絶をしていない動物全般を指しても通用しそうです

上の線引きであれば何かを考えられれば言葉を使っていなくても意識があるに含まれそうですが
意図的に考えるという認識が伴っていないければ無意識でしょうから
意識のハードプロブレムの答えとしては、どういったケースで意識という言葉を扱うか共有しない意識のまま
意識と言う言葉を使うのは灯台下暗しっぽくありませんか

「 彼らの意識の中でそのくらいのことがあってもことさらおかしくない気もしたのです。」
人間に言わせれば、彼らの意識の中でそのくらいのことがあってもというようには、恐らく彼らはそのくらいのことを
無意識に行っていて、この場合、この意識について思いを巡らせても意識のハードプログラムの答えの考え方に
光明が見える気がしません