>>353つづき
私はじつはゲーデルの不完全性定理については具体的にはよく知りません。
ただ、直観レベルでは子供の頃から「のようなこと」を漠然とは考えていました。
例えば自分の右手でその右手をさわることはできない、
自分の目で自分の目を(少なくとも直接は)見ることはできない、
さらには何かを見るためには構造上「盲点」ができるなんてことも学びます。
つまりどのようなものにも何らかの限界が必ずあるのだろう、というかんじす。
この限界がn+1項目というやつです、たぶん。
そしてこのことは私の世界観にも限界があるというふうに展開されます。

で、先ず私のチョッカン主義なるものの限界とは何なのか、
これは「おそらく」ではありますがたぶん「ニヒリズム」です。
私としてはいわゆる「ニヒリズム」を正しく理解できている自信がないのですが
とりあえず私は「あらゆるものに究極の根拠はない」ということだと認識しています。
私にとってこのことはあらゆるものの前提として無条件に君臨しています。
「A=A」でさえア・プリオリではなく、
それは主観の内部で創発というプロセスを経て初めて意味があるものになります。
宇宙が無いところには自然法則も無い
というよりは主観のないところには摂理も無いというかんじです。
「認識」「存在」なども無条件に与えらてているものではなくなります。
なお「ニヒリズム」の正体とは何なのか、
その内側にいる私にはそれはもちろんわかりません。