そう考えていくと、「意識」というものも、「不変性」をめぐる物語なのであった。
「存在」もまた、「不変性」(=自己同一性)である。
「(本家)実在」は、検証できないゆえに、科学では扱わない。
「実在」は、科学どころか、哲学でも扱えるものではない。
これを扱う哲学は「疑似哲学」でしかない。