量子論の多世界解釈は、観測者ごとの世界である。
つまり、多主観(世界)解釈なのだ。
(そもそも、エヴェレットは多世界解釈などしていないことに注意)
(エヴェレットの解釈を多世界解釈したのは別人)

観測者ごとの世界、というのも、別世界の同一人物の別の主観と考えるとおかしい。
異なる観測者が主観となる多世界、と考えてみたい。
多主観によって多世界が維持されているとすれば、エネルギー論(保存則)に反しないだろう。たぶん。