人工物で磨かれた感性を持つ私には、
科学技術の発展を止めることも、
幻想による心の支えを奪うことも、
もはやできない。
どちらも私には必要だから。
だから、私はあらゆる形而下学と形而上学の争いを止めたい。
しかし多分それは叶わない願いだろう。
このスレも神がいるいないも幽霊いるいないも、
決着をつけようとして弁証法の暗闇に堕ちてしまった。
しかもさらに厄介なことに、
仮に我々のような人工物で磨かれた感性を持つ人間が増えてしまえば、
宗教科学共通の敵になってしまいかねない。
私は「積極的無記」の立場を選ぶ。
どうか私の願いを聞き入れるような、
感性と理性を併せ持つ人間が増えますように。